二面の街の眼鏡 vol.3

前回も書きましたが、イスタンブールという街の魅力は 極めて明確な二面性を持つ点 にあると思います。
 

1つ目の二面性は、
“アジア”と”ヨーロッパ” 2つの顔を合わせ持つ点。

二面性を持った理由は、地図を広げれば一目瞭然です。
陸路においても、海路においても、交通の要めにあたる。

陸路においては、
大きく括った アジア・ヨーロッパ という2つの文化の接点であり、シルクロードの時代から続く交易の要所。

海路で見ても、
黒海からエーゲ海を抜け、地中海に至る為に、街をまたぐボスポラス海峡 は、当然避けては通れない海運の要所。
(ちなみに、オリンピックが開催されたソチは黒海沿岸)
 
 
イスタンブール ボスポラス海峡
 
実際に街を歩いてみて、とにかく急勾配の坂が多くびっくりしました。(自転車が全く走ってない。)
街の規模から考えて、わざわざ住みにくい坂の街がこれほど栄えた理由は、交通の要所だからに違いないと確信。
 
長い年月をかけ、2つの文化が混じり合ってきた結果が、この街の独特な文化をつくり出しているんだとも感じました。
 

2つ目の二面性は、異なった2つの宗教。

長い長い街の歴史の中で、
東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルと呼ばれた時代は キリスト教(ギリシャ正教)の中心地であり、
オスマン帝国領にかわり イスタンブールと名を改めてからは イスラム教 の街として現在に至る。
 
 
イスタンブール - 4
 
 
アヤ・ソフィア
 
スルタンアフメト・モスク
 
歴史ある教会とモスクが並んで立つ、極めて見慣れない街の姿は、異文化に対する好奇心を強烈にかき立てられました。
 
 
Kilic Ali Pasa Camii
 
イスタンブール - 5
 
イスタンブール - 6
 
トプカプ宮殿 門
 
 
3つ目の二面性は、”貧”と”富”の経済格差。

そもそもイスタンブールという街、
行く前に想像していたより遥かに大都会でした。
帰ってきて調べてみたら、市内の面積がとても広いとは言え人口 1,400万人 だそうです。
この数字を見れば当たり前とも思いましたが、歴史遺産が多く残る旧市街に比べ、新市街と呼ばれる
地区の繁華街は全く違う街並みでした。
ハイブランドの路面店がずらりと続くとても華やかな通りもありました。
 
 
イスタンブール 街並

イスタンブール 街並
 
 
ただ、そこから数百メートルの裏通りはこの様子。
 
イスタンブール 裏通り

イスタンブール 裏通り
 
スラムとまでは言いませんが、通りを歩く人の服装の違いは大きかったです。

世界の大都市であればどこでも目にする光景とはいえ、距離的な近さ、そしてその差に目を見張りました。

そもそも街並の違いによる物の値段の違いが、日本のそれとは明らかに差がありました。
 
 
こちら、
地元の学生が並ぶ庶民的なお店で買いました。
 
イスタンブールのサンド

イスタンブールのサンド

10種類以上のハムやチーズなどのトッピングからお好みで選んで挟んでもらうシステムです。
量の制限があるのかないのか不明。
凄まじい勢いで詰めるだけ詰めてくれました。
値段は、4トルコリラ。約200円。
ボリュームはもちろん、味も申し分なしでした。
 
 
イスタンブールのパン

こちらは、両方とも1トルコリラ。約50円。
左のパンはイスタンブールの定番パンらしく、ゴマをまぶしてリング状に焼いてます。
美味しかったです!
右の飲み物は、トルコ風”飲むヨーグルト”。
とは言っても、
まったく甘みなく、日本のヨーグルトの表面の液体(乳清)とヨーグルト本体の比率が完全に逆転した飲み物でした。
(底にちょっとだけヨーグルトが沈んでる)
最初は驚きましたが、飲み終わる頃には、意外とクセになりそうな飲み物でした。笑
 
 
 こちらは、朝の 炊き出し の様子。
 
イスタンブールの炊き出し

イスタンブールの炊き出し

最初見かけた時、
明らかに地元の普通な感じの人達が並んで食べてるので私も並んでどこでお金を払うのか尋ねてみました。
すると、
「無料だが、政府がやってるので外国人はダメなんだ。
 ごめん。」
と言われてしまいました。
 
 
一方、
こちらは目抜き通り近くのカフェの風景。
 
イスタンブールのレモネード

レモネード1杯 6トルコリラ。約300円。
カクテル等のアルコールは、700円〜1,000円くらいでした。
 
イスタンブールのカフェ

イスタンブールのカフェ

あいにく撮り損ねましたが、店員は若い男性ばかり。
要は”イケメンカフェ”だったようですw
 
 
ちょと話がそれましたが、
こういった格差が生まれた背景を調べてみると、近年のグローバルな競争の影響もさることながら、そこに拍車をかけるもう一つの理由が出てきました。 
第一次世界大戦に敗れ、敗戦国となった為です。

この敗戦の大きなダメージが、オスマン帝国の滅亡はもとより経済においても先進国と呼ばれる国々から一歩遅れを取る
結果に結びついていったようです。
(歴史に興味のある方は、オスマン全盛期のイスタンブールの隆盛をチェックしてみてください。)
 
 
街を歩き終え、最後に強く残った印象は、
「 “古”と”新” が極めて近い距離で入り混じった街 」

私が過去に訪れたことのある街の中では、最も刺激的な街 と断言できます。

“RVS by V” が掲げる”温故知新”のコンセプトは、この街で育まれた感性から生じたものだからこそ深みを増してるように感じてなりません☆
 
 
 
P.S.
今回の仕入旅で、運良くヴェネチア、イスタンブールを一緒に初訪することができました。
これは個人的にとても意味のあることでした。
また繰り返してしまいますが「歴史好きがゆえ」です。

日本のちょうど戦国時代、中世ヨーロッパにおいて、ヴェネチアを首都とする ヴェネチア共和国 と、イスタンブールを首都とする オスマン帝国 は突出した2大勢力でした。
この2国とその同盟国により覇権をかけ争った一大決戦が、 “レパントの海戦”!
と、
こっから先を語り出すと果てしなく続いていくので、またいつぞやの機会に・・笑
 
 
イスタンブールの猫
 

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